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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)7991号 判決 1988年5月27日

原告 甲野春子

右法定代理人親権者父兼原告 甲野太郎

右同母兼原告 甲野花子

右原告ら訴訟代理人弁護士 野村義造

同 和田隆二郎

右訴訟復代理人弁護士 横内淑郎

被告 樋田敏夫

右被告訴訟代理人弁護士 高田利広

同 小海正勝

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告甲野春子(以下「原告春子」という。)に対し金二二六八万六八五四円、原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)に対し金六〇八万二七五七円、原告甲野花子(以下「原告花子」という。)に対し金二〇〇万円及び右各金員に対する昭和四八年一二月一日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  (当事者)

(一) 原告春子は、昭和四七年一〇月七日生まれで後記2(本件事故)の当時生後八か月の女児であり、原告太郎は、原告春子の父、原告花子は、原告春子の母である。

(二) 被告は眼科医であり、肩書地において樋田眼科医院を大田区仲六郷においてその分院を経営している。

2  (本件事故)

(一) 原告春子は、昭和四八年五月一二日ころ、右眼に充血症状を生じたので、同年五月一九日原告花子に付き添われ、樋田眼科医院の分院に赴き、右眼の治療を求めたところ、同医院に勤務する女医は、原告春子を診察し、流行性角結膜炎(以下「流角結」という。)と診断したうえ、洗眼及び点眼薬の投与による治療を行い、翌々日(二一日)の午前中に再度来院するよう指示した。

原告春子は、同月二一日原告花子に付き添われて右医院に赴いたところ、被告が、原告春子を診察し、前回同様流角結と診断して洗眼及び点眼薬投与による治療を行なった。

原告春子は、その後同月三一日までほぼ毎日、原告花子に付き添われて右医院に通院し、その都度被告より右と同様の治療を受けたが、その症状はほとんどかわらなかった。

(二) 原告春子は左眼にも充血症状を生じたので同年六月一日ころ付添の原告花子が被告にこれを訴え、診察を求めたところ、被告は、左眼についても流角結と診断し、その洗眼及び点眼の治療を行なった。原告春子の右眼の症状はかなり好転したが、左眼の症状は悪化し、同月四日には、左眼の充血と眼脂がひどくなり、翌五日朝には眼瞼が醜い程大きく腫脹し、眼脂もよりひどくなって眼も開けられない状態になり、瞳を見ることはできなくなった。その後眼瞼の腫脹は更にひどくなって瞼の裏がめくれて顔の正面からこれが見える程になり、悪化の一途をたどった。この間原告花子は被告に対し、原告春子は眼瞼の腫脹の他に発熱して食欲もないことなどを訴えたが、被告はとくに治療方法を変えることもなく、従来と同様の治療を繰り返した。

(三) 原告春子は、同年六月一一日正午ころ、従来と同様に、洗眼と点眼の治療を被告から受けた。その際原告花子が被告に対し、原告春子の左眼の症状についてひどく心配な素振りをしたことから、被告は、他の患者の診察が済んでから、あらためてよく原告春子の診察をすることとした。

(四) 被告は、同日午後零時三〇分ころ、他の患者の診察を済ませ、再び原告春子の診察にとりかかり、原告花子及び看護婦二名に命じ、原告春子を診察用寝台に横たわらせ、原告花子に対し、右寝台から離れるよう指示したうえ、原告春子の左眼を開き、ライトを照射して診察した。

ところが、診察が始まって間もなく、被告及び看護婦が原告春子から目を離したすきに、原告春子は高さ約一メートルの右寝台からうつぶせに転落して顔面を床に強打し、左眼から出血した。

(五) 原告春子は、直ちに日本医科大学付属病院(以下「大学病院」という。)に運ばれ、同病院の医師の診察を受け、同日同病院に入院した。

原告春子は、同大学病院において左眼の角膜の一部に損傷が生じたものと診断され、同年七月一六日まで三七日間入院して治療を受けたが、結局左眼は失明するに至った。

3  (被告の責任)

(一) 原告春子は、前記のとおり、昭和四八年五月一九日以降、被告が経営する樋田眼科医院分院に通院して治療を受けていたものであり、これは、原告三名と被告との間に、五月一九日、原告春子の眼の症状を医学的に適確に判断し、これに対する適切な治療行為を施すべきことを内容とする診療契約が締結されたものということができる。

(二) しかし、被告は、次のとおり、右診療契約上の注意義務に違反した。

(1) 被告は、原告春子を診察用寝台に横たわらせて診察するにあたり、原告春子は生後八ケ月の乳児であるから、被告自ら原告春子の動静に十分注視し、又は看護婦に付き添わせて原告春子を監視させるなどして、仮にも原告春子が寝台から転落することのないよう事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、被告はこれを怠り、被告自らは原告春子から目を離し、かつ被告の履行補助者たる看護婦も原告春子の監視を怠ったため、原告春子が寝台から転落して床に額面を強打するという結果を招来し、もって原告春子をして角膜損傷による左眼失明に至らせ、原告三名に後記損害を与えた。

(2) 仮に、原告春子の左眼失明が、前記転落による床への激突によって生じた角膜損傷によるものではなく、被告が主張するように角膜潰瘍に起因するものであったとしても、以下に述べるとおり、被告は、原告春子が失明に至る事態を事前に予見し十分回避しえたにもかかわらず、失明に至らせ、原告三名に後記損害を与えたものである。

(ア) 原告春子は、前記のとおり、昭和四八年六月五日には左眼瞼が腫脹し、右腫脹が一週間も続いており、被告はこのことを認識していたのであるから、被告としては、六月五日ころから同月一一日にかけて原告春子の左眼の角膜潰瘍が徐々に進行していくことを十分予見でき、早期に角膜検査をしていれば、原告春子を失明に至らせることを防止しえたにもかかわらず、原告春子の左眼腫脹について、単に洗眼及び点眼薬投与を繰り返すのみで、角膜の検査を怠ったため、角膜潰瘍の発見が遅れた。

(イ) 六月一一日診察用寝台から落下した時点において、原告春子の左眼の角膜潰瘍は徐々に進行しており、少しの衝撃でも角膜が穿孔する状態にあったのに、被告がその不注意で原告春子の寝台からの落下を防止できなかったため、病変で脆くなっていた原告春子の角膜に衝撃を与え、少なくとも角膜穿孔の時期を早め、失明阻止の機会を失わせた。

4  (損害)

(一) 原告春子の逸失利益

原告春子は、本件事故当時生後八ケ月の女児であり、左眼失明により労働能力の四五パーセントを喪失したものであるが、旧大・新大卒の女子労働者の平均給与額は年額金一九五万二一〇〇円であり(昭和五一年賃金センサス)、原告春子は大学卒業後二二才から六七才までの四六年間労働可能と考えられるので、その間の逸失利益は、中間利息を控除して金一二六八万六八五四円である(新ホフマン係数一四・四四二四)。

(二) 慰謝料

(1) 原告春子 金一〇〇〇万円

原告春子は、本件事故により三七日間の入院・治療を余儀なくされたうえに、左眼失明により、生涯にわたり日常生活においてはなはだしい不自由を強いられることになった。しかも、就職の機会を得るうえでも不利であることは否めず、また、女性としての容貌を損われたことによる損失も少なくない。これらの原告の肉体的・精神的損害に対する慰謝料は金一〇〇〇万円をもって相当とする。

(2) 原告太郎及び同花子 各自金二〇〇万円

原告太郎及び原告花子は、原告春子が生後間もなく左眼を失明したため、その監護の養育に格別の心労を伴うことになった。また、原告春子がこのような障害を受けたことにより精神的苦痛に対する慰謝料は各金二〇〇万円をもって相当とする。

(三) 医療費

原告太郎は、本件事故により、原告春子の医療費として次の支出をした。

(1) 大学病院の入院治療費 金一二万九九三五円

(2) 大学病院の入院諸雑費 金二万二二〇〇円

原告春子は、前記のとおり大学病院に三七日間入院したが、その間の入院諸雑費の支出は入院一日につき金六〇〇円を下らない。

(3) 東京大学医学部附属病院における検査費用 金一二六〇円

以上合計金一五万三三九五円

(四) 弁護士費用

原告らは、原告ら訴訟代理人弁護士和田隆二郎及び同野村義造に本件訴訟を委任したが、本件訴訟の手数料及び謝金の標準額は、原告春子については各金一四七万九三四二円、原告太郎については各金二五万三三九円、原告花子については各金二三万五〇〇〇円であって、原告太郎は右標準額にしたがい、手数料及び謝金合計金三九二万九三六二円を原告ら訴訟代理人らに支払うことを約した。

5  原告ら三名の代理人和田隆二郎は、被告に対し、昭和四八年一一月一二日ころ、書面をもって右損害の賠償を請求し同書面はその頃被告に到達した。

6  よって、原告らは、被告に対し、診療契約の債務不履行に基づく損害賠償として、原告春子については金二二六八万六八五四円、原告太郎については金六〇八万二七五七円、原告花子については金二〇〇万円及び右各金員に対する前記請求の被告に到達した後である昭和四八年一二月一日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(当事者)の事実は認める。

2  同2(本件事故)の事実のうち、(一)については、原告春子が初めて樋田眼科医院分院を訪れたのが、昭和四八年五月一九日であったこと、同分院の女医が同月二一日に再度来院するように指示したこと及び被告が原告春子を初めて診察したのが同月二一日であったことはいずれも否認し、その余は認める。(二)のうち、昭和四八年六月一日ころ原告花子が、被告に対し、原告春子の左眼について充血症状を訴え、被告が左眼についても流角結と診断したこと、六月初めころ原告春子の右眼は症状が好転したこと及び被告が従来と同様の治療を繰り返したことは認め、その余は否認する。(三)は認める。(四)については、原告春子がうつぶせに転落し顔面を床に強打したこと及び寝台の高さが約一メートルであることは否認し、その余は認める。(五)は認める。

3  同3(被告の責任)の事実のうち、(一)は認める。(二)のうち(1)については、原告春子が床に顔面を強打したこと及び右強打によって角膜が損傷して左眼が失明し、原告三名に損害を与えたことは否認し、その余は認め、(2)は否認する。

4  同4(損害)の事実は否認する。

5  同5の事実は認める。

6  同6の主張は争う。

三  被告の主張

1  樋田眼科医院分院における原告春子の診療経過は次のとおりである。

(一) 原告春子は、昭和四八年五月一七日、右眼の眼脂及び結膜の充血を主訴として、右分院を訪れ、同分院の女医が診察した結果、右眼に流角結の症状を認め、また、左眼はまだ流角結の症状は現われていないがいずれ発症することがほとんどであるので、両眼流角結と診断し、洗眼及び抗生物質の点眼投与をし、翌一八日は被告において原告春子を診察し、前記女医と同様の診断を下し、同様の治療を同月三一日までほぼ毎日続けた。

(二) 原告春子は、同年六月一日左眼についても充血症状を訴え、被告は左眼についても当初の予想通り流角結であると診断した。

(三) 原告春子の右眼瞼は、同月四日多少腫脹したが、翌五日には軽快した。

(四) 同月九日、原告春子の左眼瞼が腫脹したので、被告は偽膜性結膜炎と診断し、洗滌のため左上眼瞼を飜転したが、その際角膜を見たところ、角膜には光沢があり異常はなかった。

(五) 翌一〇日は、日曜日で休診であったので、被告は原告春子を診察していない。

(六) 同月一一日正午ころ、被告は、従来と同様原告春子に対し洗眼と点眼の治療をしたが、原告花子の希望により他の患者の診察終了後、再度診察することとした。

(七) 被告は、同日午後零時三〇分ころから原告春子の診察にとりかかり、同女を診察用寝台に寝かせ、マル開瞼器で左眼を開瞼したが、その際、角膜の中央に長さ二ミリメートル程度の穿孔があり、そこから膿を混えた血液が僅かに漏出ているのを認め、これは単なる流角結による角膜変化ではなく特殊の混合感染であると診断し、大学病院に転医の必要がある旨を原告花子に伝えている最中、被告が少し右寝台から離れた際に、原告春子が、高さ八三センチメートルの寝台から仰向けに転落した。

2  右診療経過から明らかなとおり、原告春子の左眼の角膜穿孔は、同女が診察用寝台から転落する以前に既に生じており、寝台からの転落と角膜穿孔、失明との間には何ら因果関係は存しない。

なお、眼球は、眼窩なる骨の洞穴に入って居り、その周囲は前面を除き、たくさんの脂肪組織に囲繞されており、あたかも脂肪の海の中に浮いているようなもので、その脂肪がショックアブソーバーの役をなすため、前面からの鋭利な刺傷以外の鈍外傷には安全に保護されており、転落した場所に鋭利な突起物があり、其が左眼を刺したというならともかく、それ以外の場合に、転落によって角膜に穿孔がおこることはありえない。

3  原告春子の左眼の角膜穿孔及びこれに続く失明の原因は、流角結の発症原因たるアデノウイルス8型と溶血性連鎖球菌(以下「溶連菌」という。)の混合感染によるものであり、右混合感染による角膜の変化は、六月九日、被告が原告春子を診察した時点では生じておらず、同月一一日、診察するまでの間に急速に進行し、角膜の穿孔にまで至ったものである。

4  被告が原告春子を診察した昭和四八年当時、乳児が流角結に罹患した場合、偽膜性結膜炎を併発することはあるが、角膜に変化をきたすことはなく、溶連菌等の混合感染により角膜に合併症をきたすことがあるとは考えられておらず、また流角結に伴う瞼腫脹はごく普通にみられることであるから、瞼腫脹があったからといって角膜変化を疑い、早期に角膜の検査を行う必要はなかったというべきである。

四  被告主張に対する原告の否認

争う。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1(当事者)の事実は、当事者間に争いがない。

二  同2(本件事故)について

(一)  同2(一)のうち、原告春子が最初樋田眼科医院分院を訪れたのが昭和四八年五月一九日であり、同分院の女医が同月二一日再度来院するよう指示したこと及び被告が原告春子を初めて診察したのが同月二一日であったことを除くその余の事実、同(二)のうち、六月一日ころ原告花子が、被告に対し、原告春子の左眼について充血症状を訴え、被告が左眼についても流角結と診断したこと、六月初めころ原告春子の右眼については症状が好転したこと及び被告が従来と同様の治療を繰り返したこと、同(三)の事実、同(四)のうち、原告春子がうつぶせに転落し顔面を床に強打したこと及び寝台の高さが約一メートルであったことを除くその余の事実並びに同(五)の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

(二)  右当事者間に争いのない事実に、《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。

(1)  原告春子は、昭和四八年五月一二日ころ右眼に眼脂がたまり、結膜が充血してきたので、同月一七日、原告花子に付き添われて、樋田眼科医院分院を訪れたところ、同分院に勤務していた女医が、原告春子を診察し、両眼流角結と診断して、洗眼及び点眼の治療をし、翌日から毎日、午後零時三〇分までに来院するように指示したこと。

(2)  原告春子は、翌一八日右分院を訪れ、このときは被告が、同女を診察し、同女の右眼については、眼脂、流涙が多く結膜充血がひどかったことから、流角結であり、左眼についてはまだ流角結の症状を呈していないが、一眼が流角結に罹患するとほとんどの場合、他の一眼にも流角結が発症するので、前期女医と同様に、両眼流角結と診断し、両眼の洗眼及び抗生物質である五〇〇単位ポリマイシンの点眼を行ったこと。

(3)  原告春子は、五月三一日まで、ほぼ毎日分院に通院し、その都度、五月一八日と同様に被告が同女を診察し、同女の両眼を開瞼して洗眼し、抗生物質の点眼治療をなしたこと。

(4)  同年六月一日、原告春子は左眼についても充血症状が現われ、被告が診察したところ、当初の予想通り左眼についても流角結が発症したものと診断し、従来と同様、両眼の洗眼及び点眼の治療を行ったこと。

(5)  原告春子の右眼については、六月五日ころには、症状がかなり好転し、ほぼ完治していたこと。

(6)  原告春子の左眼の症状は六月四日夜悪化し、眼脂の量がふえ、翌五日朝には、眼脂が多量に出て、寝ていたふとんのシーツが黄緑色に汚れる程であり、原告花子が開けて点眼することができない程眼瞼は腫れあがり、ピンク色の透き通った状態で風船の様になり、また、体温も三七度五分に発熱し、食欲も失われたこと。

(7)  同日、原告花子は、原告春子を分院に連れていき、被告に対し、原告春子の体温は三七度五分位あり、食欲もない旨告げたが、被告は、従来の診断どおり流角結であるとして同女の眼脂を取り、洗眼と点眼という従来と同様の治療のみをしたに過ぎないこと。

(8)  原告春子は、同月七日及び八日に分院において被告の診察を受けたが、その際の同女の症状は同月五日の症状と同程度の眼瞼腫脹、発熱、食欲不振が続いており、偽膜も相当厚くなっていたが、被告は、従来通り流角結の症状であると診断し、従来通りの治療をしたに過ぎないこと。

(9)  被告が、同月九日、原告春子を診察したときには、同女の左眼瞼の腫脹はより増悪し、偽膜も厚くなっていたが、被告はこれまで通りの治療をつづけたこと。

(10)  同月一〇日は日曜日で、分院は休診ゆえ、被告は原告春子を診察していないこと。

(11)  同月一一日午後零時一五分ころ、被告は原告春子を診察し、従来通り流角結の症状であるとの診断のもとに、従来通りの洗眼及び点眼の治療をしたが、原告花子が、原告春子の症状が一向に軽快しないことから、被告に対し原告春子の病気は風眼など別の病気ではないか等と申し向けたところ被告が激怒したが、原告花子も泣き出したので、被告は、他の患者を診察し終わった後、再度原告春子の診察をすることにしたこと。

(12)  同日他の患者の診察をし終えた被告は、再度原告春子を診察するため、診察用寝台に同女を寝かせ、デマル開瞼器で左眼を開瞼したところ、角膜が混濁しているのを発見し、角膜の検査をしようとした時、診察室に急病の患者が入ってきたので、そちらに気をとられ原告春子から目を離した際に、同女が高さ約八三センチメートルの右寝台から、うつぶせのままにプラスタイルを貼ってあるコンクリート床上に落下し、左目から出血したこと。

(13)  看護婦が落下した原告春子をすぐ抱き上げ、被告が右看護婦に指示して出血した左眼にガーゼをあてて左眼を押えさせ、さらに大学病院に連れていくべく別の看護婦に同病院に電話するよう指示したこと。

(14)  原告春子は、大学病院の眼科に、左眼流角結、左眼角膜潰瘍と診断されて緊急入院し、小児科において転落時の障害の有無を調べるため頭部及び胸部のX線、心電図、脳波をとって調べたが、異常がなかったこと。

(15)  同日、大学病院眼科において、原告春子の眼脂を培養して調べた結果、溶連菌の存在が確認されたこと。

(16)  大学病院においては入院後、原告春子に対しマイクロマイシンシロップ、ポポンSシロップの投与等の治療がなされたが、左眼は失明し、回復の見込みもないまま、同年七月一八日同病院を退院したこと。

以上の事実を認めることができる。

なお、被告は、初診以来、原告春子の左眼の腫脹がひどくなり偽膜が生じたのちも、治療の際には原告春子の角膜を肉眼で見ており、六月九日の治療の際にも、二〇センチメートル位の距離から肉眼で、同女の角膜の一部を見たが、角膜には光沢があり、角膜に異常はなかった旨主張し、《証拠省略》中には右主張に沿う供述が存するがこの供述は極めてあいまいであるのみならず、六月九日の時点では、原告春子の左眼角膜はかなり厚い偽膜でおおわれており、また腫脹もひどく、指で開瞼することができる範囲はごくわずかであると考えられ、かような状況で、角膜に光沢があったか否かを見極めることは極めて困難であると考えられ、また、被告の供述通りであるなら、六月一一日の最初の診察の際にも、角膜の一部を見たはずであるが、その時には左眼角膜の混濁を発見できずにいたことを考え合わせると、六月九日の治療の際、角膜に光沢があるのを認めたとする被告本人の供述部分は採用することができない。

また、被告は、原告春子が寝台から転落する前に、右寝台において、同女を診察した際、既に左眼の角膜の中央に長さ二ミリメートル程度の穿孔があり、そこから膿を混えた血液が僅かに漏出しているのを認めた旨主張し、《証拠省略》中にはこれに沿う供述が存するが、転院先である大学病院の入院診療録中には、患者側からの主訴として、原告春子の六月一一日の診察において左眼角膜が混濁していた旨の記載は存するが、穿孔していたとまでの記載はないのみならず、逆に寝台から転落した直後に出血した旨の記載が存するところ、かかる主訴は、当日原告春子の左眼を診察した被告においてなしたものと考えられ(原告花子は、原告春子の左眼の角膜の混濁の有無を知り得る状況にはなかった。)、右事実に照らすと、寝台から転落する以前に、被告が、同女の左眼の角膜穿孔を確認していたとする被告本人の供述は採用することができない。

その外に前認定を覆すことのできる証拠はない。

(三)  また、《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

(1)  流角結の単独感染の場合には自発開瞼が不能になる程の眼瞼腫脹は伴わないのに対し、溶連菌との混合感染の場合には自発開瞼が不能となる程の眼瞼の腫脹が生じるところ、原告春子は、昭和四八年六月四日の夜から左眼の眼瞼が風船のようになるほど腫脹したこと。

(2)  流角結と溶連菌との混合感染が起きたときは一般に角膜の潰瘍を生じるが、昭和四九年から五二年までの間に学会等で報告された二二の類症例のうち日時の明らかな一一症例によれば、角膿潰瘍は流角結発症後四ないし一〇病日に発生しているところ、原告春子の左眼の流角結が発症したのは昭和四八年六月一日であるから同月一一日には潰瘍が生じている可能性が極めて高いこと。

(3)  眼球は、骨の洞穴のような眼窩に入っており、その周囲は前面を除きたくさんの脂肪組織に包まれているが、この脂肪組織がショックアブソーバーの役目を果たすため、前面からの鋭利な刺傷を除く鈍外傷からは保護されていてそれにより角膜に穿孔が起こることはないが、角膜が潰瘍になって脆くなっている場合には鋭利な刺傷でなくても強い衝撃が加われば穿孔することがあること。

以上の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。

三  以上認定した事実からすると、原告春子の左眼は昭和四八年六月一日、流角結が発症し、同月五日ころ溶連菌との混合感染を生じ本件事故が発生した同月一一日当日は角膜に潰瘍を生じて脆くなっていたところベッドからうつ伏せに転落して顔面をコンクリートにプラスタイルを貼った床に強打し(もっとも外傷が残る程のものではなかった。)その衝撃によって角膜が穿孔したものと認めることができる。

しかし、《証拠省略》によれば、昭和四九年から昭和五二年までの間に学会等で報告された流角結と溶連菌との混合感染の症例二二例のうち角膜穿孔による失明に至らなかったものは僅か二例にすぎず、他の症例は全て程なく角膜穿孔により失明するに至っていることを認めることができ、このことからすると、原告春子の左眼の角膜も潰瘍により穿孔する直前の状態にあったものであり、本件事故がなくても、原告春子の左眼の角膜は程なく穿孔し、左眼は失明するに至ったものと認められる。

そうだとすると、原告春子の左眼の角膜の穿孔の直接の原因がベッドからの転落にあったとはいえ、これによって左眼の失明の時期を特に早めたということはできない。

したがって、前認定の事実からして原告春子がベッドから転落したことが被告の過失によるものであることは当然であるが、このことと原告春子の左眼の失明との間には相当因果関係はないといわざるを得ない。

したがって、被告の右の過失を理由に原告春子の左眼失明に基づく損害の賠償を求めることは失当であるといわざるを得ない。

四  次に、原告らは、原告春子の左眼瞼腫脹は、六月五日から続いていたのであるから、医師である被告としては、角膜の病変を疑い早期に角膜検査をしていれば失明に至ることを防止しえたのに、これを怠り、もって失明に至らせた旨主張するので、この点につき考える。

《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(1)  本件事故の発生した昭和四八年当時、乳児の流角結によっては、偽膜性結膜炎を生じることはあるが、角膜に変化を生じることはないと考えられていたこと。

(2)  昭和四八年当時は、乳児の流角結発症後、溶連菌の混合感染が生じるとは、一般に考えられておらず、文献にもかような症例が紹介されたことはないこと。

(3)  流角結に罹患した乳児が、溶連菌の混合感染により、角膜に重篤な症状を生じた例は、昭和四八年から突如学会に報告され、同五〇年ころまでの間に集中しており、それ以前には、学会に報告されていないこと。

(4)  原告春子は、昭和四八年六月五日ころから著しい腫脹が続き、自発開瞼が不能と思われる程までになったところ、このような症状は、現在では流角結と他の菌との混合感染の兆候であると考えられているが、昭和四八年当時は、そもそも流角結発症後混合感染を生じることは、一般に考えられていないのみならず、流角結単独感染の場合でも重症となれば眼瞼は相当腫脹することがあり、それ故、医師たる被告としては、原告春子の左眼の眼瞼の腫脹が流角結単独感染による症状としてはおかしく、これが他の原因に基づくものではないかとの疑いをもつことは困難であったと認められること。

以上の事実が認められる。

ところで、一般に医師の診療行為における注意義務を判断する場合には、診療行為当時の医学界において通常認められている医学常識を基準として判断して予見不可能であったと思われる疾病については、たとえ当該医師が右疾病を発見することができず、そのためその後における医学常識においては当然とるべきとされる措置をとらなかったとしても、当該医師に対して診療契約上の義務違反ないし債務不履行責任を問うことはできないというべきところ、前期認定事実からすると、本件事故当時の医療水準のもとにおいては、一般開業医である被告にとって流角結に罹患した原告春子が溶連菌に混合感染し、角膜が穿孔するに至る状態になっていることを発見し、これについて適切な治療を施することは不可能であったと言わざるを得ない。

したがって被告に診療契約上の義務違反があったと言うことはできない。

五  以上のとおりであるから、その余の点につき判断するまでもなく、原告らの本訴請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山口和男 裁判官 蜂須賀太郎 裁判官佐藤修市は転任につき署名押印ができない。裁判長裁判官 山口和男)

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